尾瀬/景鶴山   

■日程:2006年5月3−5日(前夜発2泊3日)
■ジャンル:雪山登山
■メンバー名:W邊(記)、J曳、A川 (計3名)
■行 程:
5月2日 23:30 JR新座駅出発
5月3日 戸倉ゲート(7:30) 〜 鳩待9:00 ―11:00山の鼻(テント設営)
5月4日 山の鼻 8:45 ― 11:00 ヨッピ橋先の下ヨサク沢付近から入山
     ― 13:40 景鶴山山頂 14:10 ―16:30 ヨッピ橋 ― 18:30山の鼻
5月5日 山の鼻から柳平方面を散策 
     12:10 山の鼻 ― 14:30 鳩待峠 〜沼田の温泉〜新座駅(21:00)解散



■山行記録:

5月の連休は2年ぶりに尾瀬(山の鼻)でのんびりすごすことになった。
メンバーはJ曳、A川、W邊の3名。
事前の情報では尾瀬も例年に比べ雪が多いとのことだが、一体どのくらい多いのか見当がつかないので、計画には至仏山と景鶴山の両方をいれておき、現地の状況によって選択するようにした。
A川君の希望で雪訓もやりたいとだったので、ロープやハーネスもザックにつめることになり少々重いザックになったが、GWはずっと天気が良好との予報だったので、暖かな雪の上で美味しいビールが飲めるとの期待大であった。

5月2日夜 

首都高速各所で発生した渋滞に巻き込まれ、22:30の集合時間に大幅に遅刻したW邊は、新座駅に到着する頃には既に2時間半近い運転でお疲れモード。
関越道の渋滞が既に所沢から十数キロ地点まで伸びていると首都高に表示されていたので、慌てても仕方ないと判断し新座駅で近くのファミリーレストランでいきなり夕食となった。
その後、渋滞も徐々に解消しているようなので、予定より1時間遅れて新座を出発し沼田へ移動した。
運転は途中でA川君に代わってもらい、W邊は後部座席で仮眠させてもらった。
(お陰で翌日に疲れが残らず助かりました。)

5月3日(水) 

さて、沼田ICをおりて戸倉についてみると、尾瀬への道は雪崩の危険があるとの理由で戸倉のゲートが閉鎖されていた。
仕方なく車列の後尾につけて待機すること数時間、朝7時半頃漸くゲートが開放されたが、この時既に最後尾が見えないくらいに車列は伸びていた。
30分ほど車を進め鳩待の駐車場近くになると突然前方の車が停車したので、こちらも仕方なく停車。
前方では係員が駐車位地を指示していたが、これが予想外の「遅れ」を呼ぶことに。
パジェロを含めた数台が停まっているところは駐車場直下の最後の急坂で、前日昼間の雪解け水が一面凍結していた。
おまけに目の前の車はなんとノーマルタイヤ。
上り坂で完全停止してため、いざ発進しようとしてもタイヤがスリップして全く前進しない、エンジンを吹かせば吹かすほどお尻を振るだけで、一向に前に進む気配がない。それどころか下手をすると反対に滑って落ちてきそうな様子である。仕方なく、自分を含め数名が車を降りて後ろから押す羽目になった。
足場がつるつるの場所で悪戦苦闘の末、ようやく前の車が脱出できたので、我がパジェロへ戻ろうとすると、J曳さんは助手席で爆睡モード。こっちは車降りて汗流していたのに! 

駐車後いよいよ尾瀬へ向かって出発。
鳩待から山の鼻まではひたすら下るだけなので気分的には楽ではあったが、この日の気温は15度以上。樹林の中は涼しかったが、一度木陰を出るとあっという間に汗が吹き出してくる。
途中休憩をいれたため山の鼻に着いたのは11時過ぎであったが、テント場手前のヨッピ川にかかる橋はまだ半分雪に埋まっていた。山の鼻のビジターセンターや山小屋の1階部分もほとんど雪の下で、テント受付に尋ねると、残雪は例年の「倍」(つまりは3メートル近い雪?)とのことであった。

昼過ぎには幕営を終了し、本来はすぐに至仏山の斜面に移動し雪訓を行う計画(A川君の意見)ではあったが、J曳・W邊の強硬な主張により、まずはビールで乾杯となった。
この後はご想像の通り! 結局1杯(1缶)では終わらずに、このまま宴会に突入した。   
夕食はJ曳さんの用意したレトルトハンバーグとアルファ米を美味しくいただきました。
(賞味期限は残っていました!)
その後、酒を飲みながらもA川君は至仏山の斜面は雪崩の危険性が高いので、(翌日)登るのだったら、いったん鳩待にもどりそこから登頂する「安全ルート」にこだわったが、J曳・W邊はそんな面倒くさい意見にはずっと反対(実際昼間に山の鼻の方向から登っている人も見えたしね。)で、それよりもむしろ景鶴山に興味があった。

夜は昼間の暑さとビール&ウィスキーによる酔いも手伝い8時前には休むことになったが、往復イビキと無呼吸症候群(?)のA川君のお陰で夜中には眼が覚めてしまった。
それでも、周りのテントからは苦情は全くこず、無事初日を終了した。


5月4日(木)

ターゲットは景鶴山、取りつく場所は東電小屋手前の下ヨサク沢付近

朝6時に起床し、七時半過ぎには朝食を終了。
A川君の作った「力(ちから)ラーメン」の作り方に関して、麺と餅のどちらを先に入れるかで、J曳対A川の論争はあったが、形の残ったお餅をコッヘルの中に発見できたため、殴り合いには発展せず。
8時45分に山の鼻を出発。湿原側の橋が渡れないので、テント場手前の橋を遠回りして、そこから一路ヨッピ橋を目指した。
この日も気温はグングン上昇して湿原(雪原)の上では17から18度くらいになった。
平坦な湿原歩きは山に比べ変化には欠けるが、だだっ広い白銀の世界を木道を外して好き勝手に歩けるのはこの時期だけ。
前方には燧ケ岳、左手には景鶴山、降りかえると至仏山、そして雪原の上には僅かな人影しかみえず、普段は決して味わうことができない「自由と開放感」をたっぷりと堪能した。
1時間半ほど歩いてヨッピ橋を通過すると、その先にテントが二張ほどあった。
山の鼻のテント村とはちがい、静かな夜を過ごせるのもこの時期尾瀬を訪れる人の特権かと納得する。
この辺りから景鶴山方向を観察すると、幾つかの尾根は雪がところどころ崩落しており、ルートを取るには危険と判断し、当初の計画通りヨッピ橋と東電小屋の間の尾根から取りつくことにした。
途中コースどりを間違えてもたついている間に単独行のおじさんに追いこされはしたが、それ以外には前後するひともなく静かな登りであった。
頂上から1時間ほど手前あたりから先では、すでに登頂を終えた人たちがぞろぞろと降りてきたが、半分近くは山スキーであった。
樹林帯をぬって軽快に滑降する姿を「スキーも良いなー」と横目で見ながら我々は黙々と歩いた。
最後の急峻な痩せ尾根を細心の注意を払いながら上り、2004bの山頂への到着したのは13時40分頃。
風があるのであまり暑さを感じなかったが、この時点で気温は20度を優に超えていた。
狭い山頂で30分ほど休んでいる間に、我々とは反対側から上ってくる人が10名近くいただろうか。
中には、平ヶ岳まで往復したあと景鶴山に登ってきたというつわもの3人組もいた。
山頂からの眺めは正に絶景。
眼下には広々とした尾瀬の湿原、右手に至仏山へ連なる山々、前方には尾瀬を取巻く山の向うに日光白根山の頂が顔を出し、左には燧ケ岳、そして後ろには平ヶ岳を初めとする山々の大パノラマが広がり、山頂からの眺めには一同大満足であった。
下山は安全のため全員アイゼンを装着。(A川君は最後の急登を前に、既に装着ずみだった。)
上りはあれほど苦労したのに、下りはあっという間で、皆大またでずんずんと駆け下りた。
朝とりついた場所が発見できずに思いがけず東電小屋の方向に行きすぎてしまい、余計な時間をくってしまったが、最後の下りで少し引き返して無事ヨッピ橋に到着。
時間は16時を少し廻っていた。
ここで一本たててから一路山の鼻をめざした。
J曳さんは、18時までには山の鼻に到着しないと暗くなると心配していたが、この時期日没はもっと遅く、山の鼻に到着した18時30分頃は夕焼けで空は明るくヘッドライトを使う必要もなかった。
最後は昼間の暑さによる「バテ」がでてばらばらのテント到着となったが、事故もなく無事下山。
その後、19時過ぎから急いで夕食をとったが、アルコールが入ったとたんに、3人とも睡魔におそわれ、暖かいテントのなかで小一時間うとうとしていた。
お酒を飲むわけでもなく、話をすることもないまったりとした時間をすごすのもたまには良いものです。
結局、21時ころにA川君の「寝よう」の一言でこの日は終了。


5月5日(金)

この日は特別な予定もなく、柳平方面を午前中散策。
沢沿いの雪解けや、カラマツの巨木、それに思いがけずみつけた白樺の巨木などを撮影し、11時ころには山の鼻のテントにもどった。
そこで、J曳さんが「そうめん」をもってきているのいうので、昼は行動食ではなく、皆でそうめんをつくることになった。麺の冷やし方についてここでもJ曳対A川の論争があったようだが、食べ始めれば皆「うめーっ!」とハッピーな気分に早戻り。
結局予定の出発時間は少しすぎてしまったが、12時過ぎテントを畳んで山の鼻を出発、鳩待には14時半の到着となった。
この後は、沼田で温泉に浸かり、そばを食べ、関越で新座に戻り解散となった。
とにかく、3日間ものすごい「ドピーカン」の天候に恵まれ、連休明けの「お肌」の状態が心配なくらいどっと日焼けして帰ってきました。


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